小型船の歴史物語
私が見たり、聞いたりしたことを基に物語をする。

昭和20年 戦争が終わり、神戸は空襲被災の結果、焦土となった。
その中から小型造船所も、ゆっくりと再び立ち上がってくる。
戦時中は、「海軍」の足元を支える為に各小造船所の統合が行われ、神戸でも統合があった。
私の父の話によると、「艀」に高射砲を取り付ける木製の架台を制作する為に、船大工が集められ、夜汽車に乗って「広島」まで行かされたと言う。
やがて、戦後 神戸では広島、岡山などから船大工さんがやって来て、多くの小造船所が立ち上げられる。

一方、戦前からの石原造船所は戦後、焦土の中から、立ち上がり、本船の沖修理に力を入れる。石原造船所は、創業者の「石原紋次郎」さんが広島の生口島から神戸に出て来て、
「船」の修理を始めた。そして、戦後、軍艦の二重底を利用して、浮きドックを作る。
その浮ドックを使って、小型船の修理を続ける。
西出町には、「大正ドック」、「荒田造船」「佐野造船」があった。

淡路島で生まれた「鹿瀬弘」は船大工として、淡路島富島の「大崎造船」で「ぼんさん」から
修業を積んで神戸に出てきた。そして、こつこつと西出町で、「木造船」を造り始めた。

これが「鹿瀬造船」の始まり。
そして、戦後の小型造船所にも大きな影響を与えたのが「朝鮮動乱」であった。

 
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